大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和60年(あ)427号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

検察官の上告趣意は、判例違反をいうが、原判決は所論引用の判例と相反する法律判断をしておらず、あるいは所論引用の判例は事案を異にして本件に適切でないから、所論は前提を欠き、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

しかしながら、所論にかんがみ職権をもって調査すると、原判決は以下の理由により破棄を免れない。

一  原判決が認定する事実関係は、次のとおりである。

奈良県生駒警察署防犯係の係長巡査部長中嶋忠彦、巡査部長小出雅康、巡査内浦俊雄の三名は、複数の協力者から覚せい剤事犯の前科のある被告人が再び覚せい剤を使用しているとの情報を得たため、昭和五九年四月一一日午前九時三〇分ころ、いずれも私服で警察用自動車(ライトバン)を使って、生駒市内の被告人宅に赴き、門扉を開けて玄関先に行き、引戸を開けずに「吉川さん、警察の者です」と呼びかけ、更に引戸を半開きにして「生駒署の者ですが、一寸尋ねたいことがあるので、上ってもよろしいか」と声をかけ、それに対し被告人の明確な承諾があったとは認められないにもかかわらず、屋内に上がり、被告人のいた奥八畳の間に入った。右警察官三名は、ベッドで目を閉じて横になっていた被告人の枕許に立ち、中嶋巡査部長が「吉川さん」と声をかけて左肩を軽く叩くと、被告人が目を開けたので、同巡査部長は同行を求めたところ、金融屋の取立てだろうと認識したと窺える被告人は、「わしも大阪に行く用事があるから一緒に行こう」と言い、着替えを始めたので、警察官三名は、玄関先で待ち、出てきた被告人を停めていた前記自動車の運転席後方の後部座席に乗車させ、その隣席及び助手席にそれぞれ小出、中嶋両巡査部長が乗車し、内浦巡査が運転して、午前九時四〇分ころ被告人宅を出発した。被告人は、車中で同行しているのは警察官達ではないかと考えたが、反抗することもなく、一行は、午前九時五〇分ころ生駒警察署に着いた。午前一〇時ころから右警察署二階防犯係室内の補導室において、小出巡査部長は被告人から事情聴取を行ったが、被告人は、午前一一時ころ本件覚せい剤使用の事実を認め、午前一一時三〇分ころ右巡査部長の求めに応じて採尿してそれを提出し、腕の注射痕も見せた。被告人は、警察署に着いてから右採尿の前と後の少なくとも二回、小出巡査部長に対し、持参の受験票を示すなどして、午後一時半までに大阪市鶴見区のタクシー近代化センターに行ってタクシー乗務員になるための地理試験を受けることになっている旨申し出たが、同巡査部長は、最初の申し出については返事をせず、尿提出後の申し出に対しては、「尿検の結果が出るまでおったらどうや」と言って応じなかった。午後二時三〇分ころ尿の鑑定結果について電話回答があったことから、逮捕状請求の手続がとられ、逮捕状の発付を得て、小出巡査部長が午後五時二分被告人を逮捕した。

二  原判決は、右のような事実認定を前提に、警察官三名による被告人宅への立ち入りは、被告人の明確な承諾を得たものとは認め難く、本件任意同行は、被告人の真に任意の承諾の下に行われたものでない疑いのある違法なものであり、受験予定である旨の申し出に応じることなく退去を阻んで、逮捕に至るまで被告人を警察署に留め置いたのは、任意の取調べの域を超える違法な身体拘束であるといわざるを得ないので、そのような違法な一連の手続中に行われた本件尿の提出、押収手続(以下、採尿手続という)は、被告人の任意提出書や尿検査についての同意書があるからといって、適法となるものではなく、その尿についての鑑定書の証拠能力は否定されるべきであるとする。

そこで勘案するに、本件においては、被告人宅への立ち入り、同所からの任意同行及び警察署への留め置きの一連の手続と採尿手続は、被告人に対する覚せい剤事犯の捜査という同一目的に向けられたものであるうえ、採尿手続は右一連の手続によりもたらされた状態を直接利用してなされていることにかんがみると、右採尿手続の適法違法については、採尿手続前の右一連の手続における違法の有無、程度をも十分考慮してこれを判断するのが相当である。そして、そのような判断の結果、採尿手続が違法であると認められる場合でも、それをもって直ちに採取された尿の鑑定書の証拠能力が否定されると解すべきではなく、その違法の程度が令状主義の精神を没却するような重大なものであり、右鑑定書を証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められるときに、右鑑定書の証拠能力が否定されるというべきである(最高裁昭和五一年(あ)第八六五号同五三年九月七日第一小法廷判決・刑集三二巻六号一六七二頁参照)。以上の見地から本件をみると、採尿手続前に行われた前記一連の手続には、被告人宅の寝室まで承諾なく立ち入っていること、被告人宅からの任意同行に際して明確な承諾を得ていないこと、被告人の退去の申し出に応ぜず警察署に留め置いたことなど、任意捜査の域を逸脱した違法な点が存することを考慮すると、これに引き続いて行われた本件採尿手続も違法性を帯びるものと評価せざるを得ない。しかし、被告人宅への立ち入りに際し警察官は当初から無断で入る意図はなく、玄関先で声をかけるなど被告人の承諾を求める行為に出ていること、任意同行に際して警察官により何ら有形力は行使されておらず、途中で警察官と気付いた後も被告人は異議を述べることなく同行に応じていること、警察官において被告人の受験の申し出に応答しなかったことはあるものの、それ以上に警察署に留まることを強要するような言動はしていないこと、さらに、採尿手続自体は、何らの強制も加えられることなく、被告人の自由な意思での応諾に基づき行われていることなどの事情が認められるのであって、これらの点に徴すると、本件採尿手続の帯有する違法の程度は、いまだ重大であるとはいえず、本件尿の鑑定書を被告人の罪証に供することが、違法捜査抑制の見地から相当でないとは認められないから、本件尿の鑑定書の証拠能力は否定されるべきではない。

三  してみると、本件尿の鑑定書の証拠能力を否定した原判決は、法令の解釈適用を誤った違法があり、その違法は判決に影響を及ぼし、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

よって、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、更に審理を尽くさせるため、同法四一三条本文に従い、本件を原裁判所である大阪高等裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官島谷六郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官島谷六郎の反対意見は、次のとおりである。

私は、本件における尿の鑑定書の証拠能力を肯定する多数意見には、賛成することができない。

本件では、警察官らの被告人宅への立ち入り、警察署への任意同行及び同所での留め置きの点に違法がある。すなわち、第一に、被告人宅への立ち入りの点は、警察官らが被告人の承諾を得ないままその家に上がり、奥八畳間まで入って寝ていた被告人の枕許に立ち、被告人の肩を叩いて起床させたというのであるから、それは住居の不可侵の権利を侵し、私生活の平穏を害することはなはだしい行為である。第二に、警察署への同行の点は、警察官の身分と要件を明らかにしたうえで被告人の承諾を得たものでなく、起床したばかりの被告人が、枕許に立つ私服の警察官らを見て、取り立てに来た金融屋だと考え、自分も大阪へ行く用があるからと言って、警察官らの車に乗り込んだ疑いが濃いものであって、警察への同行を求められてこれに応じたものではなく、任意同行とは到底評価し得ないものである。第三の警察署に留め置いた点は、同日午後に行われるタクシー乗務員となるための試験の受験の申し出を無視して取調べを続行したというものであり、任意の取調べにおいては、警察官としては被取調者からの理由ある退去の要求は尊重し、それなりの対応をすべきであって、それを無視してよいものではなく、本件での警察官の所為は、退去の自由を認める任意の取調べの原則に悖るものとの非難を免れることはできない。そして、この留め置きの間に採尿が行われたのである。

多数意見は、このような本件採尿までの手続及び採尿手続を違法であると評価はするのであるが、その結果得られた尿の鑑定書の証拠能力は否定すべきものではないとする。しかし、私はそのようには考えない。採尿に至るまでの経過に徴すると、本件警察官らの行為の違法性はまことに重大であって、それによって得られた証拠の証拠能力を肯定することは、このような違法な捜査を容認する結果になると思料する。

とくに、警察官らが被告人の明確な承諾なしにその住居に立ち入った点は、重大である。警察官らは被告人の任意同行を求めるつもりで被告人宅に赴いたのであろうが、警察官らが赴いた午前九時半ころには、まだ被告人は就床中であった。警察官らははじめは屋外から声をかけたが、これに対する応答がないまま住居に入り、被告人の寝室にまで立ち入ったのである。しかし、一応声はかけてあるのだから、応答がなくとも、私人の住居に立ち入ってよい、というものではない。居住者の明確な承諾を得ることなく、警察官が私人の住居に入り込むことは、許されない。これは憲法三五条の明白な違反である。いかに捜査の必要があるといっても、警察官としてはそのような行動をとるべきでなく、被告人に任意同行を求めるのであるならば、それに相応した慎重な行動がなされるべきである。本件における警察官らの行動は、令状なしに私人の住居へ入るという重大な違法性を帯びているものである。しかも、その後の警察署への同行は任意同行といいえないものであること、及び警察署への留め置きが違法であることは、前述のとおりである。このような状況においてなされた採尿は、それだけを切り離して評価すべきものではなく、被告人宅への立ち入り以降の一連の手続とともに全体として評価すべきものである。そして、全体として評価するとき、これらの手続には令状主義の精神を没却するような重大な違法があるといわざるを得ず、右の鑑定書を証拠として許容することは、違法な捜査の抑制の見地から相当でなく、その証拠能力は否定されるべきである。

よって、本件上告は、職権で破棄すべき理由はないので、棄却すべきである。

(裁判長裁判官 牧 圭次 裁判官 大橋 進 裁判官 島谷六郎 裁判官 香川保一)

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